大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福島簡易裁判所 昭和33年(ろ)31号 判決 1958年5月21日

被告人 菅野長一

主文

被告人を懲役六月に処する。

但し、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

本件公訴事実のうち、被告人が高橋新次郎所有の腕時計一個を窃取したとの点は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三三年三月八日午前一時頃、福島市栄町一二番地飲食店千鳥こと日下キミエ方において、同人所有の現金千八十円を窃取したもので、被告人は右犯行当時飲酒の結果心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)(略)

次に、本件公訴事実中、被告人が昭和三三年三月八日午前一時頃福島市栄町一二番地飲食店千鳥こと日下キミエ方附近路上において、高橋新次郎所有の腕時計一個を窃取した。との点は、被告人が右日時場所において高橋新次郎の左腕から腕時計をもぎとつたことは被告人の自認するところである。凡そ窃盗罪の成立するためには犯人において財物を不正に領得する意思の存在を必要とするところ、被告人の検察官に対する供述調書中「私は腕時計を持つていないので欲しくなつて右手で機械のところを掴んで引張るとバンドが切れたので、それを持つて走り出すとすぐ相手が追いかけて来て後から体をつかまえられ返せといれたので、私は折角とつたのにおいそれと返す気にもなれず、酔つた勢も手伝つて乱暴して返さないようにしようと思い何だこの野郎というと相手も怒つて殴り合いになつた」旨の記載によれば、被告人に不正領得の意思があつたこと一点疑いがないようであるが、飜つて被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する供述調書及び菅野トキ子の司法警察員に対する供述調書の各記載並びに証人西坂正男の当公判廷における供述を綜合すると、本件の事実関係は、被告人は当時病院の賄夫をしていたものであるが、本件事件発生の当日は、仕事が終つてから病院で仲間と共に清酒一升を飲み(被告人が飲んだ量は一、二合)、午後七時頃一旦帰宅し、夕食を食べないで友達の所に行き、そこで焼酎二合位ご馳走になり、それから友達二人と共に飲みに出掛け、一駒という飲屋でコップ酒三杯(三合)位飲み、更にララスというバーでキュラソー四、五杯を飲み、なおも飲もうとして前に三回位行つたことのある千鳥に行つたところ、女中から「かんばんだ」といつてことわられたので、友達二人が奥に行つて飲ませてくれと二、三回交渉したが、だめだといわれたので、面白くない気分で店を出たところ、路上の暗がりで千鳥のマダム(日下キミエ)が見知らぬ若い男とくつついて何かしていたので(証人高橋新次郎の証言によると、その若い男というのは高橋新次郎であつて、日下キミエが外便所へ行つた帰りに胃痙攣を起したので右高橋がこれを介抱していたのだという。)これを見た被告人は、「かんばんだ」といつて自分らをことわつておいてこんなところで若い男とふざけているとは怪しからんと大いに憤慨すると同時に男に対する嫉妬から両名を引離してやろうと考え、「何やつてんだ」といつて、まずマダムの足を蹴つて同人をその場にころばし、次いで男の左手を掴んで引張つたところ左手に腕時計がかけてあつたので、腕時計をもぎとると男が返せといつてかかつて来たので、後ざりしながら返せばいいだろうといつて腕時計を男ののど首のところから丸首シャツとジャンバーとの間につつこみ、それから殴り合いの喧嘩になつたものとみるのが相当である。以上のような事実関係に、当時被告人がいろんな酒を飲んで悪酔していた事実、被告人にはこれまで警察の調べを受けるような非行のない事実並びに証人高橋新次郎の当公判廷における、被告人には腕時計を盗る気はなかつたものと思う旨の供述を併せ考えると、被告人に不法領得の意思があつたものと認めることは困難であるから、この事実については窃盗罪は成立しないものとして刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 長瀬説慈)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例